初の外国人杜氏、フィリップ・ハーパーの酒づくり ―― 木下酒造 杜氏

インタビュー:杜氏

初の外国人杜氏、フィリップ・ハーパーの酒づくり ―― 木下酒造 杜氏

Words: Kimberly Hughes / Photos: Solveig Boergen

「生まれて初めての日本食はイギリスから日本へ向かう機内で食べた機内食でした」と語るフィリップ・ハーパーさん。JETプログラム(外国青年招致事業)の英語教師として大阪に降り立った時、日本の食文化についてはまったく興味をもっていなかった。しかし、後に彼が、杜氏の称号を手にした初の外国人になったのだ。

お酒はもともと好きだったハーパーさんに日本酒をすすめたのは当時の同僚たち。「同僚たちとは、音楽の趣味が共通ですぐに仲良くなり、日本酒のテイスティングにも一緒に参加しました。面白いことに、後に私たちの3人全員が仕事を辞めて、醸造家になったんです」

日本酒に興味を持ったものの、酒蔵で働くためのビザはすぐには取得できなかった。そこで、昼間は英語を教え、夜はバーで働くことに。そして週末だけ、友人が働く奈良県の酒蔵を手伝う生活がはじまった。やがてハーパーさんもその酒蔵で働くようになり、1991年から2001年までの10年間、醸造の仕事を学んでいった。

しかし、その学び方は、「蔵には教育のシステムが確立されていなかったので、昔ながらの伝統的なやり方で学びました。その学習法は、見て学べ、ということ」と、ハーパーさんは笑いながら振り返る。「しかも修業中、私は25歳で周囲は50~60代のおじさんたち。別の地域から働きに来た人も火星人のように扱われていましたから、外国人の私の場合、どうやって扱えればいいのか、ずいぶん戸惑ったと思いますよ。しかも私の専攻は英文学。醸造ではまったくの役立たずでしたからね(笑)」

ハーパーさんが働いた酒蔵は杜氏制度のもとで日本酒造りが行われていた。杜氏制度では酒は蔵(醸造所)の所有者ではなく杜氏によって造られる。この杜氏というのは、杜氏の組合から派遣された酒造りの最高責任者で、普段は農家であることが多い。冬の季節に蔵人と呼ばれる醸造者たちとチームをつくり、翌年の酒を造っていくのだ。
日本酒造りというのは、歴史的に「3K」(キタナイ、キケン、キツイ)労働といわれ、加えて長時間労働で重労働、低賃金ということもあり、酒造りの地元でも若者たちからも避けられていた。慢性的な人材不足を大規模な醸造所は企業化することで解決したが、中小規模の醸造所はずっと人材の確保に追われており、約300年の間主流であった杜氏システムも第二次世界大戦後に徐々に衰退しはじめたとハーパーさんは分析する。

ハーパーさんにとっても酒造りは過酷であったが、田舎で育ち、農場で働いた経験が役に立ったという。しかし同時に、「もちろん200日連続、休日なしで働くのは厳しいですよ。何より最初の年はシーズン半ばまで、日本語でろくに会話をすることもできませんでしたから」とハーパーさんは振り返る。しかし、「働く前も業界の責任感とプロ意識を素晴らしいと思っていましたが、自分が参加したことで尊敬の念はより高まりました」と、この仕事の崇高さを強調する。

そして、2007年、京都府京丹後市の「木下酒造」で杜氏を務めることになる。いまも「玉川」のブランド名で酒造りを行っている。さらに、その日本酒への情熱は、学術的な才能と相まって本を書き上げた。酒造りに関する2冊の本(3冊目は近日発表予定)を上梓し、いまでは多数の記事を執筆する活躍だ。

ハーパーさんには、さらに「木下酒造」で、その生い立ちや醸造方法、日本酒文化の地域差などについて、彼の視点を交えながら伺うことになった。

インタビュー

- 自発発酵を行うなど、伝統的な日本酒業界のなかで大胆な変革を行っているそうですね。この自発発酵とはどういうものですか

実は、「spontaneous fermentation(自発発酵)」とは、醸造所内に生息する野生酵母「蔵つき酵母」のことで、この単語を意味する英語がなかったので、私たちがつくった言葉なのです。この方法は、江戸時代、人々がまだ酵母について知る前に行われていた手法で、このファンキーな古い建物を見たときに挑戦しようと思い立ち、結果的にうまくいきました。現在、この方法でラインナップの半分近くを醸造していますが、リスクが非常に高いこともあって、取り組んでいる醸造所はほとんどありません。

- つまり、たまたま近くにいる酵母を利用しているということですね

そのとおりです。例えば醸造所の土壁には、酵母が豊富に生息しています。温度を上げるためにお湯を使いますが、これが、このスタイルで醸造する際の最大の介入です。使うのは、麹、米、水だけ。他には一切何も使っていません。私たちが酵母を選ぶのではなく、酵母が私たちを選ぶのです。江戸時代からここへタイムトラベルしてきた人がいたら、私たちが何をしているのか正確に理解できると思いますよ。ただし、照明スイッチの使い方を説明しなくてはいけませんけどね(笑)。

- 最近の世の中は、より自然で環境に配慮したライフスタイルに戻っていく傾向がみられます。このトレンドを実践しているのですね

そう言えるでしょうね。介入の少ない製造方法に加え、冷蔵という業界のトレンドにも逆らっています。環境に非常に大きな影響を与えると感じているからです。私たちの日本酒も一部は冷蔵していますが、これは品質管理というよりスタイルのため。私たちの日本酒のほとんどは、室温での熟成が最適だと考えています。
また、精米の考え方も環境に大きな負荷となると思っています。キャリアを通じて私の考えがどう変化してきかについて、次の本で詳しく説明しています。

- 日本酒の楽しみ方について教えてください

気候が明確に違う地域の日本酒を比較することをおすすめします。大まかに言えば、東北地方と西日本(私たちの醸造所を含む)地域の味比べです。東北地方は寒いので、より軽く、よりフローラルな酒を造る傾向があります。西日本は、より深くて素朴で、米の風味を感じます。あくまで私の意見ですが、日本酒愛好家のトレンドは、花のようなよい香りから、より豊かでファンキーなトーンへと進化し、成熟した味覚になっていく傾向にあると思います。東北の人に聞いたら、逆のことを言うかもしれませんけどね。要は、どちらが良いかではありません。単純に、違いがあるだけです。そして、いろいろな温度で日本酒を試してみることをおすすめします。温度も大きな楽しみのひとつですからね。

- ハーパーさんのお気に入りの地域はありますか

日本国内のどこであっても水には恵まれているので、あらゆる場所で高い品質の酒を見つけることができるはずです。なかでも広島県の西条市は美しく、アクセスもしやすい酒どころです。

他にも、高知は旨みが豊富で辛口の酒を造る傾向にありますが、同じ辛口でも、新潟は旨みに素朴さがない、きりっとした透明感のある味わいです。また鳥取では、熱燗でも楽しめるような、辛口でも米の風味をしっかり感じられる酒が多いです。よく生酛や山廃仕込みで、旨みを追加していたりしていますね。

一方、香りが華やかな東日本の酒は、最初の一杯としてはぴったりですが、おいしく飲める適温の範囲が狭いので、味が失われるのも早く、冷やす必要があります。私は、いろいろな温度で日本酒を楽しむのが好きなので問題ありませんけど。

- 新型コロナウイルスの影響で社会がスローダウンしています。業界に新たな動きは起きていますか

このパンデミックですべてがスローダウンする前から日本酒の海外展開のために、生産者たちは保存可能な期間と長持ちする日本酒について深く考えていました。

現在、醸造所での会話の多くは酒の熟成に関するものです。例えばヴィンテージワインは業界でも非常にうまい仕組みだと思っていまして、お酒に神秘性も生まれます。私は日本酒でもそのような取り組みを行うべきだと数年来思っていました。
また、冷蔵も含めてですが環境保護という観点から、華やかでフルーティーな日本酒のトレンドが限界にきていると業界全体で感じています。生酛や山廃仕込みのような、よりたくましい風味が見直されていくでしょうね。

- あなたが造るラインナップでのおすすめは

そうですね、まさにタイムマシーンのような酒があります! 300年前のレシピで造られた熟成酒で、アイスクリームや塩漬けのサバ、ブルーチーズ、フォアグラ、チョコレートなどとの相性がいい酒です。それから、米国でトップセラーの特別純米酒もおすすめ。熱燗で飲むのがベストです。私が思うに、この酒は温めるとさまざまな芳香や風味を解き放つため、加熱すれば常温に比べ面白い味になります。

- イギリス人で音楽好きのハーパーさんは、ラジオDJのピーター・バラカンさんと共通点が多いですが、一緒に仕事をされてどうでしたか

ピーター・バラカンさんは、NHKの番組で訪ねてこられました。彼は最高の日本酒ファンだと言えます。それは、マニアックな部分には興味がなく、好きなものを、ただ飲むだけですからね。日本酒がもたらしてくれるものを楽しむためには、実に「まっとうな」アプローチだと思います。

- あなた酒造りをひと言で表すとしたら、それはどんな言葉でしょうか

どんな言葉を使ったにせよ、酒造りを言葉で定義するには不十分だと思います。言えることは、ただただ美味しい酒を造りたいということだけです。そしてその酒は分かりやすく説明できるものではありません。それは、たくさんの要素で成り立っているからです。